日光街道を歩く2-①草加宿から越ケ谷宿
草加宿
東武スカイツリーラインの草加駅で下車し、日光街道ウォークの2日目のスタートです。草加駅には「祝 草加市制60周年」の横断幕が張られています。
藤城家住宅
日光街道の宿場草加宿のほぼ中央に藤城家住宅があります。江戸時代の宿場町の面影を今に伝える貴重な建物です。平成26年に国の有形文化財に登録されています。
清水本陣跡
草加宿の清水本陣跡。宝暦4年(1754)に大川家から本陣職を譲り受けています。
本陣跡の近くにある茶屋風造りの休憩所。トイレやベンチも整備されているので、休憩には最適です。
草加せんべいの老舗「元祖源兵衛せんべい」
草加宿と言えば、草加せんべいが代名詞。街道沿いに江戸時代から創業している老舗せんべい屋が点在しています。こちらは、「元祖源兵衛せんべい」。
テレビでお馴染みの草加せんべい志免屋
こちらも草加せんべいの老舗の「草加せんべい志免屋」。「モヤモヤさまぁ~ずz」(テレビ東京)や「若大将のゆうゆう散歩」(テレビ朝日)でも放送されている人気店です。
草加宿開祖大川図書が創建した東福寺
東福寺は、慶長11年(1606)草加宿開祖の大川図書により創建されています。東福寺山門は瓦葺きの四脚門で、天井の絵様彫刻も大変見事でした。彫工後藤常重による彫刻で、元治2年(1865)の刻銘があります。
山門の天井に施された彫工後藤常重による彫刻。
鐘楼にも絵様彫刻が見られます。「文久2年7月再造立」(1862)の刻銘があります。
東福寺の本堂
本堂にも龍の彫刻が見られます。目が生き生きしています。
東福寺にある大川図書の墓
大川図書は、草加宿開拓者の一人で、小田原北条氏に仕えていました。徳川家康の天下統一後、朋友の伊奈備前守の計らいにより草加の地に土着し、新田の開拓、農業の奨励、寺院の建立などの功績を残しています。大川本家が代々の草加宿本陣を務めていました。
草加宿には、江戸時代の宿場町の面影を残す建物がいくつか残されています。
久野家(大津屋)住宅
この建物は、久野家(大津屋)住宅。記録によりますと、宿場は開宿以来4回ほど大火や震災にに見舞われ、その度毎に蘇ってきたそうです。家伝によれば、この家は、安政2年(1855)の江戸大地震や明治3年(1870)の大火にも免れて、宿場の変遷を見続けてきたようです。
草加せんべい発祥の地
街道と新道が交差する場所に「草加せんべい発祥の地」の石碑が建てられています。
札場河岸公園 と松並木
綾瀬川に沿って「札場河岸公園」があります。札場屋野口甚左衛門の私河岸で、江戸との舟運が盛んであったことが分かります。公園には各所に芭蕉にちなんだ碑が残されています。
ちょうど満開の藤棚を見ることができました。
火の見櫓見学OK
札場河岸公園には、江戸時代の面影が感じられる「火の見櫓」が建てられていました。急な階段ですが展望階まで上がることができます 。
火の見櫓から見た景色です。綾瀬川ぞいに整備された松並木が延々と続いています。
日本の道百選「日光街道の松並木」
この日光街道の松並木の道は、日本の道百選に選ばれています。
松並木の途中には太鼓橋(矢立橋)があります。
地元の方にとって、綾瀬川沿いの松並木は、とても気持ちの良い散歩道です。
もう一つ太鼓橋がありました。百代橋とあります。
綾瀬川に架かる橋も風情があります。綾瀬川沿いの松並木は、天和3年(1683)関東郡代伊奈半右衛門が大雨の度に流路を変える綾瀬川の河川改修をした際に植栽したもので、当時から「千本松原」として名所となっていました。
松並木の途中には、石仏石塔群があります。祠の中にある石塔には水神と刻まれています。馬頭観世音像は、寛政7年(1795)に建立されていたことが分かります。
蒲生の一里塚
綾瀬川は、草加と越谷を分ける境界です。蒲生大橋を渡ると「蒲生の一里塚」があります。
藤助河岸跡
蒲生大橋の袂に「藤助河岸跡」があります。高橋藤助の私河岸が復元されたもので、江戸への年貢米の積み出しが行われていました。
越ケ谷宿
藤助河岸跡の前には、青い越ケ谷宿という看板が置かれた老舗酒屋があります。ここから粕壁宿を目指して、越ケ谷宿の街道を歩き続けます。