日光街道を歩く4-②古河宿から野木宿・間々田宿
古河宿
前回は、2018年5月14日、朝8時半にJR東北線の栗橋駅を下車し、栗橋宿から歩き始め、中田宿を通り、古河宿まで行きました。今回は、引き続き、古河宿から間々田宿までをご紹介します。
古河堤提灯もみ祭り発祥の地碑
「古河堤提灯もみ祭り」とは、長い竹竿の先に提灯を付け、大勢で激しく揉みあいながら提灯の火を消し合う奇祭で古河が発祥の地とする石碑が日光街道に置かれています。
「武蔵家本店」は、創業百年の鰻料理店。この辺りは、遊郭があった場所です。
この通りを「よこまち柳通り」と呼んでいます。
鷹見泉石の墓がある「正麟寺」
「正麟寺」には、鷹見泉石の墓があります。晩年は、古河の居宅で蘭学に勤しみ安政5年(1858)に没しました。享年74歳でした。
今でも、生花が手向けられているのを見て、改めて鷹見泉石のお人柄を偲ぶことができたように感じます。
「本成寺」は、古河藩5代藩主土井利益の生母 (法清院)の墓があります。
「史跡 栗橋道」の道標がありました。
お昼は 「久エ門手打ちうどん」
途中、美味しそうな手打ちうどんのお店「久エ門手打ちうどん」を発見。
今日は、5月中旬にもかかわらず気温はすでに30度近くになっています。こういう時は、喉元に優しい冷たいうどんが一番。看板には、「昔懐かしい なまず天ぷら」と書かれていました。この辺の名物だったのかもしれませんね。
私は、シンプルに「ざるうどん」です。美味しかったですよ。鳥の唐揚げも評判のようです。
野木宿
旧道と国道4号線が再び合流する所に「野木神社」の鳥居があります。
「野木神社」には、日露戦争開戦2年前の明治35年(1902)、「のぎ」の縁から陸軍大将乃木希典が参拝し、「指揮用のサーベル」を奉納しています。
しばらく国道4号線を歩きます。日本橋から国道4号線で来ると、65キロに当たる場所なんですね。小山まであと12キロです。
野木宿道標
野木宿の道標がありました。道標には「是より太平山道」と刻まれています。この道は、栃木で例幣使街道に通じていて、日光とを短絡する裏道でもありました。また、江戸時代に太平山神社の信仰の厚さを知ることもできます。
観音堂
道標の近くに「観音堂」があります。
境内には嘉永3年(1850)建立の十九夜供養塔や寛政12年(1800)建立の馬頭観音世音等がある。この辺りが野木宿の日光北口で、土塁と矢来柵があったそうです。
源頼義、頼家父子が「前九年の役」凱旋の折に勧請し、友沼村の総鎮守となった「正八幡宮」
田んぼと青空
十九夜塔
この「 十九夜塔」は、明治十二年(1889)の建立で、如意輪観音像が陽刻されています。
間々田宿
乙女交差点にある歩道橋から撮った「乙女河岸道」。慶長5年(1600)小山評定で石田三成との決戦を決意した家康は思川の乙女河岸から江戸に下ったとされています。
間々田駅前のロータリーに建てられた「蛇がまいたの像」は、間々田の蛇祭りのシンボル。蛇祭りは、他の地域でも見られますが、五穀豊穣や魔除けを願って古くからの伝統行事なのでしょう。お祭りは、毎年5月5日の子供の日に行われるそうです。
間々田駅
本日は、JR東北線の間々田駅で終了としました。 青空の下、快適な歩き旅でした。
今回は、栗橋駅を8時半に出発し、間々田駅に3時に着きました。歩いた距離は24.1キロ。古河宿で歴史博物館や文学館、美術館などを見学したので、のんびりした一日となりました。