日光街道を歩く1-① 江戸日本橋から千住宿

江戸日本橋

日光街道のスタート地点は「お江戸日本橋

2018年は、明治維新から150周年に当たります。同時に戊辰戦争から150年を迎える年でもあります。

鳥羽伏見戦争を皮切りに国内各地で起きた内戦の爪跡は今も目にすることができます。この記念すべきタイミングに日光街道を歩きながら、地域の歴史と戊辰の足跡を発見する旅に出掛けることにします。

2018年4月1日、江戸日本橋から千住、草加、古河、宇都宮を経て日光までの20次、約150㎞の日光街道ウォークのスタートです。

出発地点は、五街道共通のスタート地点、江戸日本橋から。そして、今日のゴールは草加宿です。

澄み切った青空に桜が満開です。心配なのは、この時期にピークを迎える花粉症。ティッシュを片手にさぁ出発することにします。

f:id:mondo7:20180401181313j:plain

日本橋三越本店の右側を真っ直ぐに進みます。

日本橋室町の辺りは、江戸時代、魚河岸があったことから鰹節問屋、海苔問屋、芝居小屋などが軒を連ね、賑わいをみせていたエリアです。

現在は、coredo室町が賑わいをつくっています。

室町三丁目の交差点を右折して、小伝馬町、浅草橋方面に直進します。

途中の昭和通りは地下通路を潜って渡ります。江戸時代からの老舗「小津和紙」のビルを通り過ぎます。

日本橋」界隈や「小津和紙」は、東野圭吾さんの小説や映画で大ヒットした「麒麟の翼」にも登場してきますね。小津和紙では和紙の紙漉き体験や小津資料館の見学も行なっています。

江戸伝馬町牢屋敷跡の大安楽寺と十思公園

日光街道の近くにある「大安楽寺」は、江戸伝馬町牢屋敷跡の前に立地していて、境内には刑死者を供養する「延命地蔵尊」があります。

f:id:mondo7:20180401183346j:plain

江戸伝馬町牢屋敷跡は、現在「十思公園」として、都心のサラリーマンの憩いの場所となっています。

公園内には、安政の大獄で斬首された吉田松陰の「終焉之地碑」があります。多くの幕末の志士たちが斬首された安政の大獄は、幕末維新を迎える大きな時代の節目となりました。

伝馬町で行われる処刑の合図となった「石町時の鐘」が公園内にあります。また、隣接の十思スクエア別館には小伝馬町牢屋敷展示館があり、自由に見学することができます。

刑の執行当日、刻限を意図的に遅らせたことから「情けの鐘」と呼ばれていました。

f:id:mondo7:20180401183430j:plain

桜に染まる神田川

日光街道は、小伝馬町を過ぎると、横山町問屋街を通ります。

歌川広重の名所江戸百景「大てんま町木綿店」でこの界隈を描いていますが、今も衣料繊維問屋が軒を連ねています。

その先に、浅草橋があります。この写真は浅草橋から神田川を撮ったものです。桜の花びらが川面に季節感を漂わせています。神田川は、この先で隅田川に合流します。

f:id:mondo7:20180401183702j:plain

 浅草橋の袂に浅草見附跡があります。江戸城外の城門で「浅草御門」と呼ばれていた場所です。振袖火事の時、伝馬町牢屋敷から囚人が脱獄したとの誤報を信じた役人がこの門を閉じたため2万人以上の犠牲者が出ています。

f:id:mondo7:20180401183748j:plain

伊能忠敬も通った浅草の天文台

蔵前一丁目の交差点に「天文台痕」の解説板があります。

天文方の高橋至時が天文観測を行なっていた所です。高橋至時は、17年をかけて日本全土を実地測量し、初めての実測による日本全図を書いた 伊能忠敬の師匠でした。

伊能忠敬も日々、深川の自宅からここまで通って学んでいたのでしょう。伊能忠敬はここで学んだ技術を元に、日光街道から奥州街道を通って、東北、北海道へと実測の旅に出掛けています。今年は、伊能忠敬没後200年の年。

f:id:mondo7:20180401183845j:plain

 浅草橋の辺りは、人形の久月などの老舗や、プラモデルやオモチャの問屋が軒を連ねているエリアです。バンダイの本社もここにありました。

f:id:mondo7:20180401184122j:plain

江戸時代からの老舗「駒形どぜう」

「駒形どぜう」は、創業享和元年(1801)どじょう料理の老舗。文化3年(1806)大火に遭い、それまでの「どぢやう」の4文字では縁起が悪いと「どぜう」の3文字に改称したと伝えられています。

f:id:mondo7:20180401184242j:plain

日本一の観光名所「浅草寺雷門」

 駒形橋西詰の交差点を直進すると浅草寺雷門の正面に着きます。今日も外国人観光客で一杯です。

f:id:mondo7:20180401184311j:plain

隅田川の桜祭りと東京スカイツリー

雷門から隅田川に向かいます。隅田川では桜橋桜祭りが行われているところでした。

意外と知られていませんが、隅田川堤に桜を植えたのは、八代将軍徳川吉宗なんです。

f:id:mondo7:20180401184437j:plain

 ユニークな寺院「待乳山聖天」は良縁成就のパワースポット

待乳山聖天は歴史も古く、由緒ある寺院ですが、ユニークなのは、お供え物が「大根」というところ。寺務所で大根が売られているのです。大根には、心の迷いを取り除き心身の健康と良縁成就、夫婦和合にご利益があるそうです。隠れたパワースポットですね。

f:id:mondo7:20180401184534j:plain

寺務所でお供え物として売られている大根は時価です。野菜が高い時は400円でした。

f:id:mondo7:20180506224459j:plain

大根の絡み具合から良縁成就、夫婦和合にご利益があることがわかります。やはり、パワースポットですね。

f:id:mondo7:20180506225441j:plain

社務所の横から広々とした庭園に降りることができます。しだれ桜が満開でした。浅草の人力さんが必ず寄る隠れた名所。

f:id:mondo7:20180401184620j:plain

池波正太郎生誕地跡

 待乳山聖天の入口近くに池波正太郎生誕地跡があります。

f:id:mondo7:20180401184741j:plain

日光街道に沿って歩いていくと、「山谷堀公園」があります。

江戸時代には、新吉原遊廓への水上路として、隅田川から遊郭入口の大門近くまで猪牙舟(ちょきぶね)が遊客を乗せて行き来し、吉原通いを「山谷通い」とも言っていました。

界隈には船宿や料理屋などが建ち並び、「堀」と言えば、山谷堀を指すくらいに有名な場所だったということです。

f:id:mondo7:20180401184817j:plain

招き猫がシンボルの今戸神社は縁結びの神様

山谷堀の近くに「今戸神社」があります。特に女性に人気の縁結びの神様です。待乳山聖天に並び、こちらも浅草の人力さんが必ず案内している場所です。

f:id:mondo7:20180401184859j:plain

 この辺りは「今戸焼発祥之地」で、江戸時代に初めて招き猫が作られたことでも有名なんです。本堂でお詣りすると子供の背丈ほどある大きなペアの招き猫が鎮座しているのが見えますよ。今戸神社のシンボルになっています。

f:id:mondo7:20180401184932j:plain

とても愛嬌のある招き猫が人気を博している所もあるのでしょうね。猫好きにはたまりません。

f:id:mondo7:20180401185017j:plain

沖田総司の終焉の地

「今戸焼発祥之地」碑の隣に、新撰組一番隊長「沖田総司終焉之地」碑が建っています。浅草と新撰組に何やら関係がありそうですね。

解説板によると、「沖田総司は当地に居住していた御典医松本良順の治療にも拘わらず、その甲斐なく当地にて沒したと伝えられている」と書かれています。

f:id:mondo7:20180401185103j:plain

あしたのジョーの「泪橋

日光街道を進むと、「泪橋」の交差点に着きます。この先にある小塚原刑場に引き立てられる罪人と身内の者がここで泪の別れをした所から付けられているそうです。あしたのジョーが今にも登場してきそうな雰囲気のある街並みです。

f:id:mondo7:20180401185704j:plain

南千住駅に向かう跨線橋から撮りました。前方に見えるのは高層マンションが建ち並ぶ北千住駅周辺です。この辺りの街並みは近年大きく変貌を遂げています。

f:id:mondo7:20180401185739j:plain

小塚原刑場跡の首切り地蔵

跨線橋を下りると、小塚原刑場跡があります。処刑された屍体は放置され一帯には死臭が漂っていたそうです。「首切り地蔵」は寛保元年(1741)に刑死者供養のために造立されたものです。

f:id:mondo7:20180401185815j:plain

幕末の志士とプロレスの神様「カールゴッチ」の墓

首切り地蔵のある延命寺の隣に小塚原豊国山回向院があります。

回向院には、安政の大獄で斬首された吉田松陰の墓や蘭学者杉田玄白等が刑死者を解剖した場所であることから翻訳した「解体新書」のプレートが掲げられています。

幕末の志士たちが眠る墓地に、何とプロレスの神様「カールゴッチ」のお墓がありました。力道山とも戦い、アントニオ猪木氏等が尊敬していたジャーマンスープレックス創始者のカールゴッチです。

亡くなったのは、2007年7月28日だったのですが、その10年後に日本に移住していたことから新しくお墓を建てられたようです。墓前には高価なワインボトルがいくつも並んでおりました。

f:id:mondo7:20180401190015j:plain

カールゴッチの暮石の隣には、鼠小僧次郎吉の墓がありました。

f:id:mondo7:20180401190059j:plain

その隣には、幕政の改革で開国論を唱え、安政の大獄で斬首された福井藩奥医師橋本左内の墓があります。

f:id:mondo7:20180401190153j:plain

その隣には、同じく安政の大獄で斬首された吉田松陰の暮石があります。現在は、松陰神社に遺骨が収められているそうです。

f:id:mondo7:20180401190221j:plain

解体新書はここから

 蘭学者杉田玄白前野良沢が刑死者を解剖し、翻訳した「解体新書」のプレートが掲げられています。蘭学の事始めの場所ですね。

f:id:mondo7:20180401190340j:plain

彰義隊が眠る円通寺

 南千住駅から徒歩10分程の円通寺があります。

f:id:mondo7:20180402234650j:plain

上野戦争の弾痕跡が残る黒門

上野戦争で亡くなった彰義隊の遺体はそのまま無残にも放置されていました。見かねた円通寺の住職はその遺体を葬い、この地に埋葬されました。多くの旧幕臣の墓石や慰霊碑がここに眠っています。

また、上野戦争の象徴とも言える凄まじい戦闘による弾痕跡が残る黒門を見ることができます。 f:id:mondo7:20180402234747j:plain

南千住の素盞雄(すさのお)神社

再び旧日光街道に戻り、南千住の交差点の直近くに「素盞雄(すさのお)神社」があります。境内には、「小塚原」の地名の由来となった「小塚」や大銀杏、文政三年(1820)に建立された「芭蕉旅立記念碑」などがあります。

f:id:mondo7:20180401190604j:plain

ここで、隅田川に架かる千住大橋を渡ります。この橋は昭和2年に造られたものです。

f:id:mondo7:20180401190709j:plain

芭蕉奥の細道」旅立ちの場所

千住大橋を渡り終えると「奥の細道矢立初めの地碑」があります。芭蕉は深川から舟で千住に着き、「奥の細道」へ旅立ちます。その際に詠んだ句は、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」。ようやく千住宿に着きました。

f:id:mondo7:20180401190811j:plain

千住大橋を渡り、千住宿に入ります。草加宿までまだまだです。