日光街道を歩く3-②杉戸宿から幸手宿
杉戸宿
杉戸宿を代表する豪壮な家屋と蔵を残している渡辺勘左エ門邸を過ぎ、次の幸手宿を目指します。
国道4号線を通ったら見て!ペコちゃんとポコちゃん
旧道はここまで。ここから3kmほど国道4号線を歩きます。
沿道には大型ショッピングモールや街中でよく見かける外食チェーンの看板が目に入ります。その奥には、広大な田畑が構えています。
不二屋のペコちゃんポコちゃんが屋根に腰掛けてデート中。
山田うどんの駐車場にある茨島一里塚跡
国道4号線の開発工事のため、恐らくこの付近の史跡らしきものは消滅しているものと思われます。
数少ない史跡のうち、「茨島一里塚」の解説板が「山田うどん」の駐車場内にありました。折角なので、ランチは山田うどんに。
上高野小入口の交差点を左折し、東武日光線の踏切を渡ります。
目の前には、ショッピングセンター「JOYFUL HONDA」の黒く大きな建物がそびえ立っています。
日光街道と日光御成道の合流点
この写真は、振り返って撮ったものです。
向かって左手の道が歩いてきた日光街道の旧道で、直線に伸びている方が日光御成道です。つまり、日光街道と日光御成道の合流点なわけです。
合流点の近くに「太子堂」があります。
源頼朝が奥州征伐の戦勝祈願をした神宮寺
太子堂の斜め向かいに「神宮寺」というお寺があります。
源頼朝が奥州征伐の途中で戦勝祈願をしたとされています。
眼病にご利益のある螺(たにし)不動
幸手宿の入口となる「倉松川」の「志手橋」を渡ると神明神社があります。
その境内には、「螺(たにし)不動」があります。当時から豊かな田畑が広がっていたことが分かります。
拝殿前の獅子が手にしているものは、どうやら御神体の螺(たにし)ではないかと思います。
解説板によると、螺不動では、螺の絵馬を奉納して祈願すると眼病にご利益があるそうです。江戸時代には神明神社の前に高札場が置かれていました。
幸手宿
江戸宿場の面影を残すおしゃれなカフェ
街道沿いにある「上庄(うえしょう)カフェ」は、江戸の宿場の面影を残す国登録有形文化財です。
江戸末期に建築された岸本家住宅主屋(しゅおく)を移築したもので、築180年の重厚な蔵造りの構えでありながら、本格ピザや生パスタの他、手作りケーキが人気のお店です。
明治の元勲が宿泊した「旅館 あさよろず」
「旅館 あさよろず」は文政2年(1819)の創業。
板垣退助や伊藤博文等が宿泊した老舗旅館。今も旅館業を営んでいます。最寄りの幸手駅までは徒歩5分です。
幸手宿はシャッターアートが描かれた商店がいくつもあります。
「永文商店」は全国から集めたこだわりの酒と食材を販売しています。店正面のシャッターアートは見ることができませんが、2階建て側面の波トタンの壁は秀逸です。
本陣知久家跡
本陣知久家跡は、現在「うなぎ義語屋」です。初代の帯刀は幸手宿の創設に尽力し、代々問屋と名主を兼ねていました。門構玄関付で建坪170坪余だったそうです。
桜と菜の花で有名な「権現堂堤」
幸手宿の旧街道を離れ、しばらく国道4号線沿いを歩きます。中川に架かる行幸橋(みゆきばし)の手前には、長大な「権現堂堤」が築かれています。
江戸を洪水から守るために寛永18年(1641)に築堤されたものです。毎年4月初めには、桜と菜の花が咲き揃い、他県からも多くの観光客が集まりますが、5月初めのこの時期は、一瞬、森林と見間違えるほどの緑の帯が堤伝いに連なっています。
4月初めには、1000本のソメイヨシノが1キロにわたって満開を迎えるそうです。(写真は観光協会)
杉戸宿から幸手宿のアクセスポイント