日光街道を歩く2-②越ケ谷宿から粕壁宿

越ケ谷宿

前回に引き続き、越ケ谷宿から粕壁宿を目指します。

蒲生の一里塚を過ぎ、しばらく進むと道路端に小さな祠を見つけます。不動明王道標です。

享保13年(1728)建立の不動明王像の台石には「是より大さがミ道」と刻まれ、大聖寺(大相模不動)への道標を兼ねています。隣には、正徳3年(1713)建立の笠付青面金剛庚申塔があります。

f:id:mondo7:20180422185200j:plain

左甚五郎の彫刻がある清蔵院

新道と交差する辻に「清蔵院」があります。

清蔵院は、天文3年(1534)の創建で、山門は寛永15年(1638)に建てられています。山門より先に入ることを禁じる貼紙があり、少し残念な気持ちになりました。

f:id:mondo7:20180422185256j:plain

金網で囲われた龍の彫刻は、日光東照宮に名作を残した名人左甚五郎の作と伝えられているそうです。夜な夜な山門を抜け出し、畑を荒らしたところから金網で囲われたと言われています。

f:id:mondo7:20180422185345j:plain

武田勝頼の遺児「千徳丸」の供養塔がある照蓮院

しばらく県道49号線沿いに歩きます。右手に「照蓮院」が見えてきます。

f:id:mondo7:20180422185425j:plain

天正10年(1582)、武田勝頼が自刃すると、家臣が遺児の千徳丸を瓦曽根村に連れて帰り、潜居していましたが千徳丸は早世してしまいます。

f:id:mondo7:20180422185515j:plain

墓所には「千徳丸供養五輪塔」があります。

f:id:mondo7:20180422185558j:plain

蔵造りの商家が残る越ケ谷宿

旧商家「太物荒物店塗師屋市右衛門」跡です。蔵造りの商家と蔵を残しています。漆を扱い、後に太物(綿、麻織物)を商っていました。越ヶ谷は染物業が盛んだったと伝えられています。

f:id:mondo7:20180422185716j:plain

塗師屋の隣には、日用雑貨を扱う鍜治忠商店。蔵造りの商家を残している鍛治忠商店は江戸期には鍛冶屋だったそうです。

f:id:mondo7:20180422185743j:plain

今でも、蔵造りの旧商家が街道沿いに建ち並んでいるので、江戸時代の宿場の風情を感じさせてくれます。

f:id:mondo7:20180422185816j:plain

越ヶ谷宿に残る旧商家を活用して様々な取組も行われているようです。

越ヶ谷宿には、徳川家康、秀忠の鷹狩りの休泊所として元荒川近くに越ヶ谷御殿がありました。明暦3年(1657)の振袖火事で江戸城が全焼すると、急遽越ヶ谷御殿を解体し、江戸城の復興にあてたという記録が残されています。

f:id:mondo7:20180422185848j:plain

街道沿いの河内屋旅館は、創業300年と伝わる江戸時代からの老舗の旅籠で、今も旅館を営んでいます。日光街道での宿泊に利用したいですね。

f:id:mondo7:20180422190036j:plain

元荒川に架かる大橋です。川辺に咲く菜の花の黄色と緑のコントラストが綺麗ですね。

f:id:mondo7:20180422190102j:plain

大沢村の総鎮守の香取神社。風に揺れる鯉のぼりが気持ちを和ませてくれます。

f:id:mondo7:20180422190130j:plain

香取神社の彫刻から見える越ケ谷の染物産業

慶応2年(1866)建立の奥殿外壁には、紺屋の作業風景が精巧に彫刻されています。越ヶ谷が染物業の盛んだった土地であることが分かります。

f:id:mondo7:20180422190157j:plain

紺屋の作業風景が精巧な彫刻で描かれています。

f:id:mondo7:20180422190220j:plain

古奥州道道

東武スカイツリーライン の高架を潜ると、元荒川の河川敷が見えてきます。堤防の目線の位置に「古奥州道道標」があります。道標には「右じおんじ のじま道」と刻まれています。

f:id:mondo7:20180422190325j:plain

 宮内庁埼玉鴨場

その河川敷の一角に厳格な門に閉ざされている施設があります。正面の門の奥にある施設は「宮内庁埼玉鴨場」です。

鴨の飛来が少なくなった東京浜離宮の代替として明治37年(1904)に皇室用の遊猟場として建設されたものです。約11万7千㎡の敷地の中に約1万2千㎡の鴨池があります。

f:id:mondo7:20180422190349j:plain

 旧街道の道路脇に庚申塔がありました。小さな祠の中に宝永7年(1710)建立の青面金剛庚申塔が安置されています。

f:id:mondo7:20180422190424j:plain

 庚申塔の先に東武スカイツリーラインの踏切があります。その角に小さな居酒屋の看板が目を引きました。「かんかん」。確かに踏切が目の前なので、誰となく命名されたのでしょうね。

f:id:mondo7:20180422190459j:plain

 旧街道にはこのように歩道がなく、緩やかにカーブしている道が結構多いので注意して歩きます。

f:id:mondo7:20180422190535j:plain

 しばらく歩くと、再び国道4号線と合流します。国道沿いに大枝村の鎮守、大枝香取神社があります。ちょうど五穀豊穣の祭祀が行われていました。隣には、歓喜院という寺院があります。

f:id:mondo7:20180422190747j:plain

 国道の標識を見ると気が遠くなるような距離が。まだまだ先は長い。

f:id:mondo7:20180422190817j:plain

芭蕉が宿泊した東陽寺

この日は気温が30度と、4月としては初めて記録されるほどの猛暑日です。午後2時を過ぎた辺りで体力もいよいよ限界となりました。

このお寺は一宮の交差点近くにある「東陽寺」です。

f:id:mondo7:20180422191001j:plain

一宮の交差点で斜め左に進みます。その角に芭蕉が宿泊した「東陽寺」があります。境内の寺碑に「廿七日夜カスカベニ泊ル江戸ヨリ九里余」と刻まれています。

f:id:mondo7:20180422191022j:plain

 大塚家具の本店を構える春日部

粕壁の宿場のメイン通りに「匠大塚本店」が聳え立っていました。ここは「父娘戦争」の行方に注目が集まる「大塚家具」の「匠大塚本店」です。東京ドームの2倍の広さを持つ日本最大規模の大塚家具の老舗がここにあったのですね。思わず写真に収めてしまいました。

f:id:mondo7:20180422191103j:plain

粕壁宿

小沢本陣跡を通り過ぎます。宿場町の中心とあってよく整備されています。

f:id:mondo7:20180422191130j:plain

 天保5年(1834)建立の道標があります。

f:id:mondo7:20180422191447j:plain

 道標の表には「西南いハつき(岩槻)北日光 東江戸右之方陸羽みち」と刻まれています。建物は「田村荒物店」で、裏には豪壮な家屋と蔵が残されています。

f:id:mondo7:20180422191158j:plain

 新町橋(西)の交差点に「佐渡屋敷」の土蔵(国の登録有形文化財)があります。戦前まで浜島家が米穀商を営んでいました。

f:id:mondo7:20180422191627j:plain

 旧街道を離れ、春日部駅に向かいました。次回はここから出発です。

f:id:mondo7:20180422191652j:plain

草加宿から越ケ谷宿のアクセスポイント

 草加宿から越ケ谷宿、粕壁宿までの距離は19㎞ですが、実際の歩きは6時間で24㎞となりました。